権利の上にねむる者 ただし解雇予告手当、てめーは別だ?
丸山眞男の有名な「『である』ことと『する』こと」の冒頭で、丸山が学生時代に末弘厳太郎先生から民法の講義を聞いた時に「時効」の制度についてこのように説明されたと書かれています。
金を借りて催促されないのをいいことにして、ネコババをきめこむ不心得者がトクをして、気の弱い善人の貸し手が結局損をするという結果になるのはずいぶん不人情な話のように思われるけれども、この規定の根拠には、権利の上に長くねむっているものは民法の保護に値しないという趣旨も含まれている、というお話だったのです。
これに対する丸山の反応。
この説明に私はなるほどと思うと同時に「権利の上にねむる者」という言葉が妙に印象に残りました。 いま考えてみると、請求する行為によって時効を中断しない限り、たんに自分は債権者であるという位置に安住していると、ついには債権を喪失するというロジックのなかには、一民法の法理にとどまらないきわめて重大な意味がひそんでいるように思われます。
で、以降は日本国憲法から始まって民主主義の実践の話になるわけですが、とりあえずいったん置いといて、時効の話に戻りたいと思います。
時効のお話
時効について、民法では
(債権等の消滅時効)
第百六十七条 債権は、十年間行使しないときは、消滅する。
債権又は所有権以外の財産権は、二十年間行使しないときは、消滅する。
(定期給付債権の短期消滅時効)
第百六十九条 年又はこれより短い時期によって定めた金銭その他の物の給付を目的とする債権は、五年間行使しないときは、消滅する。
(二年の短期消滅時効)
第百七十三条 次に掲げる債権は、二年間行使しないときは、消滅する。
一 生産者、卸売商人又は小売商人が売却した産物又は商品の代価に係る債権
二 自己の技能を用い、注文を受けて、物を製作し又は自己の仕事場で他人のために仕事をすることを業とする者の仕事に関する債権
三 学芸又は技能の教育を行う者が生徒の教育、衣食又は寄宿の代価について有する債権
(一年の短期消滅時効)
第百七十四条 次に掲げる債権は、一年間行使しないときは、消滅する。
一 月又はこれより短い時期によって定めた使用人の給料に係る債権
二 自己の労力の提供又は演芸を業とする者の報酬又はその供給した物の代価に係る債権
三 運送賃に係る債権
四 旅館、料理店、飲食店、貸席又は娯楽場の宿泊料、飲食料、席料、入場料、消費物の代価又は立替金に係る債権
五 動産の損料に係る債権
と規定されています。
一方、労働基準法では時効について
(時効)
第百十五条 この法律の規定による賃金 (退職手当を除く。) 、災害補償その他の請求権は二年間、この法律の規定による退職手当の請求権は五年間行わない場合においては、時効によって消滅する。
と規定されています。
ざっくり言えば、退職金の時効は5年、それ以外の時効は2年だよってことですね。ただし労基法第23条の退職時の金品返還請求権については若干の注釈が。
(金品の返還)
第二十三条 使用者は、労働者の死亡又は退職の場合において、権利者の請求があつた場合においては、七日以内に賃金を支払い、積立金、保証金、貯蓄金その他名称の如何を問わず、労働者の権利に属する金品を返還しなければならない。
前項の賃金又は金品に関して争いがある場合においては、使用者は、異議のない部分を、同行の期間中に支払い、又は返還しなければならない。
このうち金銭の時効については2年間となるのですが、物品の返還請求権は、物権的請求権なので、その消滅時効は民法167条第2項の規定に従うようです。
解雇予告手当、てめーは別だ
さて、お金に関する時効は労基法では2年とされていましたが、解雇予告手当については少し様子が違っているようです。
(解雇の予告)
第二十条 使用者は、労働者を解雇しようとする場合においては、少くとも三十日前にその予告をしなければならない。三十日前に予告をしない使用者は、三十日分以上の平均賃金を支払わなければならない。・・・
有名な、というか常識的な解雇の手続きですが、この予告をしない (又は予告手当を支払わない) 場合の解雇はそもそも有効なのか、というところでいくつか学説が分かれているようです。
大きく分けて
①解雇有効説 (解雇そのものは有効)
②解雇無効説 (いつまでたっても解雇は有効にはならない)
③解雇相対的無効説
④選択権説 (労働者は、解雇の無効か解雇は有効であるという前提の下で解雇予告手当の支払いを請求するかのいずれかを選択できる)
に分類できます。
このうち行政解釈は③の解雇相対的無効説の立場をとるようです。
解雇相対的無効説も種々のものがあるようですが、最高裁の見解としては、予告期間も置かず、予告手当の支払いもしないで労働者に解雇の通知をした場合は、使用者が即時解雇を固執する趣旨でない限り、
(a)通知後、30日の期間を経過する
(b)通知後、解雇予告手当を支払う
のいずれか早いときから解雇の効力が生じるというものです。
行政解釈でも
法第二十条による法定の予告期間を設けず、また法定の予告に代わる平均賃金を支払わないで行つた即時解雇は無効であるが、使用者が解雇する意思があり、かつその解雇が必ずしも即時解雇であることを要件としていないと認められる場合には、その即時解雇の通知は法定の最短期間である三十日経過後において解雇する旨の予告として効力を有するものである。(昭二四・五・一三 基収一四八三号)
でも、「即時解雇であることを要件としていない」と言われても、解雇を通知されたときは事実上の即時解雇です。いったん「解雇だ!明日から来なくていい!」と言われて、後になってから「いやー、別に即時解雇でなければいけないわけではなかったんだよ」とか言われたら、どうしたらいいんでしょう。本来であれば、30日後の解雇を通知されても30日分働いてその分の給料を貰うはずなのに。
その30日分の給料はどうなるの、というと
使用者の行つた右解雇〔=予告せずに行った解雇〕の意思表示が解雇の予告と認められ、かつその解雇の意思表示があつたために予告期間中労働者が休業した場合は、使用者は解雇が有効に成立する日までの期間、休業手当を支払えばよい。(昭二四・七・二七 基収一七〇一号)
休業手当を支払えばいいんですね。
ちょっと整理
というわけで、解雇予告あるいは解雇予告手当の支払いがない解雇の場合、
①あくまでも即時解雇にこだわる
解雇予告手当を支払って初めて解雇の効力が発生、すなわち支払いがなければ (法律上は) いつまでも雇用関係が継続する。
②即時解雇にこだわらず
30日経過後に解雇が有効。その間勤務していない・できない状態であれば休業手当の支払いが必要。
と整理できます。
解雇予告手当に関しては、「時効がない」のではなく「時効の問題は生じない」という、なかなか厳密で精緻な法解釈をする必要があったのですね。
労働基準法第二十条に定める解雇予告手当は、解雇の意思表示に際して支払われなければ解雇の効力を生じないものと解されるから、一般には解雇予告手当については時効の問題は生じない。(昭二七・五・一七 基収一九〇六号)